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第3章:風の都シェラハ
2.月明かりのダイアローグ

 

『ねぇ、シルフィード。彼らの時間は、僕たちに比べたら驚くほどに短いんだ。だからこそ皆、懸命に一瞬一瞬を生きている』
 

 私と同じ、草原の色をした目をきらきらと輝かせて、あの子は語った。
 人間という得体の知れない、形ある異質な存在のことを。

 

『力になってあげたいんだ、ほんの少しでも』
 

 そう言って無邪気に笑ったあの子を、あのとき無理矢理にでも止めていたなら、あんなことにはならなかったのだろうか。
 伐り拓かれた山と、そこに築かれた、空をも貫くような巨大な塔。
 人の身にありながら精霊(わたしたち)の《歌》を操り、あの子を塔に捕らえた忌まわしき《鐵の女王》。
 あの子の翼を犠牲に栄えた、歪な人の都。
 その歴史も、あの子や風の子らのことも何もかも忘れ去り、我が物顔で生き永らえた罪人の子孫たち。
 ――人間は嫌いだ。
 あの子を奪い去り、意思なき道具のように使い潰した、傲慢で自分勝手な人間が嫌いだ。
 滅び去ってしまえばいいと、心から願った。
それがこの地のあるべき姿なのだから。

 

 その人間が今、目の前にいる。
 荒れ狂う風と叩きつけるような雨が――私が喚んだ嵐がなおも止まない塔の中で、語り聞かせた憎しみと嘆きの《歌》を、彼らはただ静かに受け止めた。
 そして――。


「シルフさんはすぐ傍にいます。砕けてしまった黄玉の欠片に宿って、今も町の中に」


 断絶した世界にあってなお私たちの姿を捉える、稀有なる目を持った少女は、眼下に広がる人の町を示し、やわらかに微笑んだ。


「この嵐が止み、夜が明けたら〝彼〟を探しに行こう。もう一度、話を聞くんだ。君が復讐を望むのは、それからでも遅くはないだろう?」


 姿は見えずとも、私たちの《歌》をつぶさに掬い上げ、読み解く男は、静かに問いかけてきた。
 精霊(わたしたち)の――私の《歌》は、形ある人の子に届くというの?
 忌避と憎しみの対象でしかなかった彼らの輪郭がふいに揺らいで、私はひどく動揺していた。

 


『お前はどうして私たちの《歌》を知ろうとするの? 何が目的?』


 嵐が止んで、静寂に包まれた塔の中。
 嵌め込みの窓からわずかに差し込む月明かりと、小さな硝子の中にともした灯りを頼りに何かを書き綴っていた男は、私の問いかけにその手を止めて答えた。


「純粋な興味だ、と言っても君は納得しないか」
『人間ってそんなに暇な生き物なの?』
「あとは、そうだな……ここへ来たのは、とある精霊の遺志でもある。霧の樹海のトレントが君のことを案じていた」
『あぁ……あの、お節介な樹』


 言い捨てると、やや遅れて意味を解したらしい男が小さく噴き出す。


「ひどい言い草だ。……というか、君も彼を知っているのか」
『私はどこへだって翔べるもの』


 あの子を助けたくて、その方法を探していたとき。あまねく大地に通ずるあの大樹なら、と訪ねたことがあった。
 遺志、と先ほどこの男は口にした。それは、つまり――。


『……あいつ、枯れたのね』


 自らの願いを託せる人の子が現れるまで、時を止めた森で待ち続けるのだと、あの酔狂な大樹(トレント)は語った。
 その霧の樹海の時が動き出したという。ならば、彼の願いは果たされたというのだろうか。
 ――目の前のこの男に、託したというのか。


『だのにお前、何も知らないのね。私たちの《歌》を識ることの意味を』
「それは、どういうことだ?」
『教えない』
「シルフィード」
『気安く呼ばないでちょうだい』
「……ん……クライスさん……?」


 ふいに、ひどく眠たげな少女の声が割って入った。


「すまない、起こしたか」


 外套にくるまって横になる声の主は、男の問いかけに小さく身じろぎした。


「これは大発見ですよー、クライスさん……虹の上って……歩けるんですよ……ふふふー……」


 ふにゃふにゃと何事かを口にしたかと思えば、呂律の怪しい声はほどなくして寝息に変わる。


「何の夢をみているんだか」


 ふっと目を細め、少女の肩からずり落ちた外套をかけ直す男の横顔は優しい。
 ――もしもあの子が庇わなかったら、この少女の命はあっけなく失われていただろう。
 その想像はなぜだか、心の奥をひどくざわつかせた。


『……人間は嫌いよ』


 落ち着かない気持ちを紛らすように、小さくつぶやいた。 


『関わりたくなかったし、近づかないようにしてた。だから、忘れてたわ。お前たちがこんなに脆くて弱いだなんて。――あんな簡単に吹き飛ぶなんて思ってなかったの。……あの子が、助けてくれてよかった……』


 とりとめもなくこぼれ落ちる言葉を、一つも聞き漏らすまいとするかのように。男は一点を見つめたまま、じっと私の《歌》に耳を澄ませている。
 視えもしないはずなのに、どうしてかその青灰色の眼が、私の姿を捉えているように思えて落ち着かない。


『お前もさっさと寝なさいよ。人間は身体の休息が必要なのでしょう?』
「おや、心配してくれるのか」
『あの子を捜すのに、お前たちが使い物にならなきゃ困るって言ってるの』  
「塔の空気が心なしか暖かいのも君の力だろう?」
『……あの子が……人間は寒いとすぐ病気になるって言ったから……お前はずぶ濡れだったし……』
「そうか」


 短く相槌を打ったきり、男は黙った。
 ただ、その肩が小さく震え、明らかに笑いをこらえるように口元を手で押さえているのが、ものすごく腹立たたしい。
 苛立ち紛れに小さなつむじ風を起こすと、男の手元に広げられた紙を思いきり吹き飛ばしてやった。


「あっ……」


 男が慌てて手を伸ばしたのもむなしく、紙切れは螺旋階段を下へ下へと舞い落ちていく。


「まずい、結構下に落ちたな。――おい、シルフィード。これは君の仕業だろう?」
『ふん、知るか』


 言い捨てると、私はふわりと翼を広げ宙に浮かんだ。


『そうやってすぐ調子に乗るのが、人間の一番好きになれないところよ』


 男は螺旋階段に手持ちの灯りを向けたまま、なおも立ち尽くしている。さぞ落胆していることだろう、と回り込んでうかがえば、けれども、何かをひどく真剣に考え込む表情がそこにあった。


「そうか。好きになれない、か」


 誰にともなくつぶやく声には、妙な含みがある。


『何よ』
「君たちの言葉で〝嫌い〟と〝好きになれない〟は随分違う響きの《歌》になるんだな、と思ってな。これはなかなか興味深い」
『――っ、お前のことは〝大嫌い〟よ』
「それは残念だ」


 男はさして気にする様子でもなく肩をすくめた。
 気に食わない、本当に気に食わない。こんな、なんの力もない、弱くて脆い存在に心をかき乱されるだなんて。
 だけど――あの子はそれをこそ楽しんでいたのだろうか。
 塔の外へ出ると、私は人の町の広がる辺りにじっと目を凝らしてみた。
 あの子が宿った硝子玉は砕け散り、その欠片は町中に散らばったという。その弱々しい気配は何の《歌》も返しはしないけれど、かすかに視える光はどこか優しく温かい。
 ――知りたい、と。初めて思った。
 人に寄り添うことを望んだあの子が、何を考えていたのか。思えば一度だって、あの子の話に真剣に耳を傾けようともしなかった。
 もしも、まだ間に合うというのなら。
 どうか声を聴かせてほしい。応えて、もう一度。

 

   

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