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第3章:風の都シェラハ
1.風の都、嵐の塔(後)


 螺旋階段は塔の中腹辺りで外へと続く扉に行き当たり、そこからは塔の外壁をぐるりと囲むように続いていく。
 雲の上へ続くようなその道を一つ一つ上り、たどり着いた最上部に待っていたのは、何やら不思議な建造物(オブジェ)だった。


「鳥籠、みたいですね」
「それにしては随分大きいが」


 円形の空間のちょうど中央に据えられた、しなやかな鋼で編まれた巨大な鳥籠。
 中には、高足の台座が一つ据え付けられている。台座の皿は何らかの球体を収めるにふさわしい形状をしているが、そこには何も置かれていない。
 辺りを見渡していると、ふいに、視界の端で何かがきらりと光った。
 鳥籠の根元に、小さな黄色い硝子の破片のようなものが落ちている。
 ミーナは膝を折り、その破片をそっと拾い上げた。
 見た目から想像したとおりの、硬く冷たい感触が返ってくる。――手に触れられる、ということに殊更に意識が向くほどに、それはどこか異質な気配を放っていた。


「クライスさん、これ……」
「硝子、あるいは何かの鉱石――黄玉(トパーズ)みたいだな」


 ミーナの手の中をのぞき込み、クライスが分析した。


「鳥が運んできたのでなければ、恐らくはその台座に、かつては全き形状で収まっていた、と考えるのが自然だろう」


 クライスはそう言って、鳥籠の中にある空の台座を指差した。
 その瞬間――籠の中に、少年とも少女ともつかぬ人影がちらついた。


「今の、クライスさんにも見えました?」
「イルタヴィナで見た〝水鏡〟と同じだ。精霊を何かしらの器――恐らくはその台座に収まっていた石の中に封印して、その力を引き出し、かりそめの姿を具現化する……今は何らかの理由で器が砕け散り、そのシステムが機能しなくなっているようだが」
「その石が、町の方がおっしゃる〝風を操る秘宝〟ということでしょうか」
「だとすると妙な話だな。イルタヴィナのようにかつて精霊と何らかの盟約が結ばれたのだとして、今は町の誰もそのことを覚えていない。どころか、伝承がねじ曲がってすらいるというのは」


 何となく胸騒ぎがして、ミーナは口を引き結んだ。


「イルタヴィナのウンディーネは自らの意思で人に寄り添い、都市のシステムを担っていたが、こちらはそうとは限らないのかもしれない」
「それは……無理矢理に、ということですか」


 鳥籠は、自由を奪い閉じ込めるためのもの。どうしても、そのイメージが浮かぶ。


「かつて《鐵(くろがね)の女王》は精霊たちの持つ力を意のままに操ったと、トレントは言っていたな。もしもここが、そのような成り立ちの町だったとしたら」

 息が詰まるほどの突風が吹き抜けたのは、そのときだった。


『――〝fusha〟』


 美しい双翼を広げ、鳥籠の前に降り立ったのは、少女の姿をした精霊。
 緑がかった黄金色の髪をなびかせ、ペリドットのような透き通った瞳は、こちらを鋭くにらみ据えていた。


「妖精さんみたいな可愛らしい女の子です。先ほど鳥籠の中に映ったのと恐らく同じ……でもあの、とっても怒ってます」


 ミーナはそっとクライスに伝えた。


「〝返せ〟と言っていた。強い憎しみを感じる声だった」


 互いの情報共有を終えると、クライスは少女の方へ向き合った。


「君が、ここに封じられていた精霊か?」
『〝Gea lei hi shon ju esfa veze nai〟』


 クライスの呼びかけにほとんど被せるように発せられた少女の《歌》は鋭く、その眼差しはなおも怒気に染まっている。
呼応するかのように、先ほどまで穏やかに晴れていた空をあっという間に鈍色の雲が覆っていく。


「話を聞かせてほしい。僕たちは決して、君を害するつもりは――」
『〝Fusha we fusha yoll das〟』

 どん、と叩きつけるような強い衝撃が走った。
 それが精霊の少女の放った風だと理解したときには、ミーナの身体はあっけなく宙に投げ出されていた。
 そこからは、時の流れがひどく緩慢だった。


「ミーナ君!!」


 男の、必死に差し伸ばされた手を、悲痛に歪んだ青灰色の瞳を。
 強い怒りに染まった精霊の少女の瞳が、ほんの一瞬揺らいだのを。
 その一つ一つを、まなうらに鮮明に焼きつけながら。
 落ちて、落ちていく――。

 


 強烈な浮遊感に手放しかけた意識を――ふっと、掌の中に生まれた温もりがつなぎ止めた。
 持ち上げた瞼の向こう、降り出した雨にけぶる景色が、上へ上へと流れていく。その速度は次第に緩やかになった。
 ミーナは、落下傘のようにゆっくりと降下していた。
 底が抜けたような土砂降りの雨は、けれど身体に打ち付けることはなく、温かな光がミーナの周囲を取り囲んでいる。
 夢でもみているような、およそ現実感のない感覚のまま、いつしかミーナは塔のふもとへと降り立っていた。
 草地を踏みしめた瞬間、ふわり、と視界の端に光の翼が広がり、宙へ溶けるように消えていく。
 ミーナはぎゅっと握りしめていた掌をほどいた。
 金色の優しい光があふれ、眼前にぼんやりと人影を結ぶ。


「あなたは……」


 実り始めた麦畑を思わせる、緑がかった黄金色の髪。
 その面差しは先ほど相対したばかりのあの少女と瓜二つだが、すぐに〝違う〟とわかった。
 ペリドットの瞳は憂いを帯びて優しげで、その背に広がる翼は一つだけ。こちらは少年だろう、という印象を受けた。
 双子みたいだ、と思う。精霊たちにそのような概念があるのかはわからないけれど。
 同じ顔立ちをした少女の、強い憎しみに染まった瞳を思い出す。
 ――〝返せ〟と言っていた。
 そして、クライスが読み解いた彼女の《歌》を。
 どうしてか、その一瞬、ミーナの中ですべてがつながった。


「塔にいた精霊さんが〝返せ〟とおっしゃっていたのは、あなたのことですね?」


 問いかけると、少年は白く透き通った手を自身の胸に当て、一つの《歌》を紡いだ。


『〝Shelphi〟』
「シルフ、さん?」


 ミーナが繰り返すと、少年はうなずくような仕草を見せた。名乗ってくれた、と解したのは正しかったらしい。
 意思疎通が図れたことに喜びを覚えたのもつかの間、ざざ、とノイズが混ざるように少年の姿が揺らいだ。
 掌にのせた黄玉の欠片が放つ光も、心なしか先ほどより弱々しい。
 彼の身に何が起きているのかは定かではないが、残された時間は少ないのだろうと直感した。


『――』


 少年が紡ぐのは、静かな、けれど切々とした《歌》。
 その意味がわからないのが、ひどくもどかしい。
 こんなにも懸命に訴えているのに、その姿が見えるのに、その想いを汲んであげられないことが。
 それでも〝視える〟自分にしかできないことがあるとしたら――。


「届けます。私が、あなたの声を……クライスさんなら、きっと――だからもう少しだけ、頑張ってください」


 ミーナは懸命に少年に語りかけた。
 どうか消えないで、間に合ってと祈りながら、高くそびえ立つ塔を仰ぐ。
 応えるように、小さな鳥の姿をした精霊たちが、どこからともなく姿を現した。それはやがて七色の虹を形作り、塔を取り囲むように緩やかな螺旋を描いていく。
 美しく幻想的な光景に、けれど見とれている暇はない。
 ミーナはためらうことなく、精霊たちの作り出した階へと一歩踏み出した。

 


 虹で形作られた螺旋の道が、やがて塔の外階段へとつながる。
 硬い石段へと一歩踏み出した瞬間、駆け下りてくる男の姿が目に飛び込んできた。
 
「クライスさん!」
「――っ、ミーナ君!」
 
 視線が交わるその一瞬、クライスの表情が泣き顔のように見えたのは、ひどく雨に濡れているからだろうか。
 駆け上がってきた勢いを緩める前に、そのまま強い力で抱き寄せられた。


「――無事でよかった……本当に」


 かすれた声が、荒い呼吸が、ごく近い距離で響く。
 降りしきる雨の音にもなおかき消されない、どくどくと響く速い鼓動の音。それがどちらのものなのかわからないまま、ミーナは男の胸に身をゆだねていた。
 呼吸が整い、男の腕がそっと離れていく。そのときになってようやく、地に足をつけている感覚が蘇ってきた。


「そっか、私……落ちたんですよね」


 しみじみとつぶやくと、「……はぁ?」と呆れ果てたような声が降った。


「なぜそんな他人事みたいな反応になるんだ。こっちはどれだけ心配したか」
「いえ、なんだか現実感がないというか……はっ、それよりクライスさん! いろいろとお伝えしたいことがですね」


 ミーナは握りしめていた掌を開いた。ほどなくして、黄玉の欠片が淡い輝きを放ち、片翼の少年が姿を現した。


『〝Shelphie(シルフィード)〟』


 今にも消えそうなかすかな《歌》は、けれど確かに届いたはずだ。目の前のクライスに、そして――その背後に現れた、怒りと悲しみの眼をした精霊の少女へと。


『〝Li sas U du das fiena, U je yoll es fusha(そこにいるの? ずっと会いたかった)〟』


 今にも泣き出しそうに目を潤ませた少女は、少年の姿を認めるやいなや、背中の双翼をふわりと広げ、一直線に彼のもとへ飛び込む。


『〝U je yoll lesel das fiena(ここにいるよ、君のすぐ傍に)〟』


 少年は温かな笑みを返し、少女を優しく受け止める。
 ――はずだった。

 ぱりん、と。
 ひどく硬質な音を立てて、ミーナの手の中の欠片が砕けた。


「え……?」


 砂粒のように細かく砕け散った黄玉の欠片は、風にさらわれ一瞬にしてこぼれ落ちていく。
 片翼の少年の姿は、もうどこにもなかった。


「――――!!」


 少女の、耳をつんざくほどの慟哭の《歌》が響き渡った。

 


「シルフィード」


 ひとしきり泣きじゃくったあと、片割れの消えた場所に呆然と膝を抱えたたずんでいた精霊の少女は、自身の名を呼ぶ男の声にはっと顔を上げた。


「〝彼〟のことはミーナ君に聞かせてもらった。――今度こそ、君のことを話してくれるか」
 

   

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