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​旅人たちのクロスロード

​4.シュークリームは昼食に

 

 何せそのリタはといえば、つい先ほどリアナが通りすぎた、あの菓子店の列の一角に並んでいたのである。
 つまりエンデははぐれたのではなく、彼女の用事が済むのをあの場所で待っていただけ。ただ思いの外、リタが帰ってくるのが遅いので、ちょっぴり心細くなっていただけなのだった。
 リタ自身、この街の名物と話題の人気菓子店の「生チョコレートシュークリーム」とやらをせっかくなら味わってみたいと、軽い気持ちで列に並んでみたものの、こうも長いこと待たされるとは思っていなかった。それでも列は着々と前に進んでいるし、ここまで待ちに待って今更引き返すという選択肢はないわけで。
 そうして、漸く次がリタの番――だったのだけれど。
「大変申し訳ございません、本日の販売分は完売となります!」
 店の奥から現れた店員は、リタとその後ろに並ぶ面々に向かって深々と頭を下げた。
「完売って、売りきれ?」
「はい」
「ないの? 一個も?」
「はい、誠に申し訳ございません」
 背後からは落胆の声が口々に上がり、並んでいた客たちはのろのろと散っていく。一番先頭のリタだけが、魂の抜けたようにその場に立ち尽くしていた。
 だってあと一人。たったの一人だ。目の前で分かれた明と暗、希望と絶望。
 その最後の希望にありつけた客が、会計を終えてくるりと踵を返す。
 呆然と眺めていたリタは、正面からその客の視線を受け止めることとなった。
 年の頃は二十そこらと覚しき長身の男である。深いブルーグレーの双眸には、無事に目当てのものにありつけた喜びと安堵の色がありありとうかがえた。
 小脇に抱えた妙に分厚い本と、その手にしかと載せられた、白い包み紙から顔を覗かせるキツネ色の焼き菓子。ふんわりとした繊細な皮の中には、甘くとろけるようなチョコレートクリームがたっぷり詰まっているのだろう。すれ違い様に、憎らしいほどふんわりと香る生地の甘い香り――。
「あー! えっと、あのさ! そこの……お兄さん!」
 リタはいてもたってもいられず、男を呼び止めた。
「……何か?」
「あたし、お兄さんの後ろに並んでてさ。ギリギリ買えなかったの」
「それは……気の毒だったな。ここはいつ来てもこの盛況で、僕も何度となく敗れてるんだ」
「あたし、おのぼりさんなの。旅人。この街に居るのも今日くらい。だから次のチャンスはないの。食べてみたかったなぁ、一番人気の生チョコレートシュークリーム……」
 上目遣いに相手を見つめること数秒。
 ふぅ、と小さな嘆息が落ちた。
「半分だけな。こっちも昼食を兼ねてるんで」
「ありがとー! お兄さん優しい! あっ、お代は払うよ。半分でいい?」
「ああ……まぁ、お構いなく。旅の餞別だと思ってくればいいさ」
「それじゃタカりみたいじゃん、あたし」
「なら潔く諦めるか?」
「いやいや、ありがたくいただきまーす!」
 目の前でひょいと取り上げられそうになったので、リタはぶんぶんと首を横に振った。
 店の外にしつらえられたベンチに腰掛け、きっちり半分に分け合ったシュークリームをめいめいに頬張る。
「この滑らかなクリームの舌触りと濃厚なチョコレートの風味。軽い食感のシュー生地は決して主張しすぎず、だが確かな存在感でクリームの甘さと絶妙なハーモニーを生み出す。しかも君、見たか? このクリームは注文を受けてその場で詰めているんだ。それこそが賞味期限たったの五分をうたい、時間経過によるわずかな食感の変化にも妥協しないこの店の揺るぎないこだわりだ。それゆえに、いつ来てもこのとおりの激戦なわけだが……君、聞いてるか?」
「すーっごくおいしー!」
 同じものを食べているとは思えない情報量の差である。
「にしてもさ。今、お昼ごはんって時間じゃなくない?」
 シュークリーム食べ終え、リタはふと浮かんだ疑問を口にした。
 今は日差しの穏やかな昼下がり。昼食というよりはおやつの時間だ。
 ここにエンデがいたら、シュークリームが昼食になるのか、というツッコミも加わったのかもしれない。リタ自身は全然いけるクチなので、そこは不問である。
「調べものが立て込んでてな。いっそ並びながら読むことにして出てきた」
 それであの分厚い本か。
 ふむ、とリタは考える。その日暮らし旅暮らしの身、人間観察は世渡りの基本。この男の素性をリタなりに分析してみようと思ったのだ。
「分かった。お兄さん、あそこの大学の学生さんでしょ?」
 そう言うと、なぜか男は黙りこくってしまった。
「当たり?」
「大学、までは合ってる。合ってるが……これでも一応、教える側だ」
「えっうそ、学者センセイ!? てっきりあたしの何個か上くらいかと……思いました」
「取って付けたように敬語にしなくていい」
 ああ、これは結構気にしてるやつだ。
 その童顔で無邪気にシュークリームを頬張る姿に大人の威厳は見いだせないだとか、その耳についてる謎のお洒落アクセサリー(?)は何なのかとか、浮かんだ率直な感想は胸の奥にしまっておくことにしよう、とリタは固く誓った。

 その後、大学へ戻るという男と道中を共にしつつ、連れが待っているはずの路地裏へ戻ってきたリタは――当然のことながら、もぬけの空となったその場所で途方に暮れることになる。
「エンデ、どこ行った!?」

  

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