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いつか、その手を

 

 うたを、竪琴を奏でるのは、必ず一人でと決めていた。
 だからレオルは宿の部屋にリアナを残し、暮れ始めた町はずれの墓地へ赴いた。そこに根ざす《かたちなきもの》を、在るべき場所へと還すために。
 古びた墓群に蔓延る蔦は枯れ、辺りには鳥の一羽もいない。あらゆる命を食らう、姿なき《彼ら》は、遠からず町を脅かすだろう。
 竪琴を構え、弦に指先を滑らせる。
 声なき声に耳を傾け、音色を、うたを紡ぎ、還るべき道を示す。竪琴を受け継いだレオルが、棄てきれずにいる役目だった。
 苦しいと叫ぶ声、寂しいと嘆く声。旋律をなぞるうち、いつしかそれが内側から響くような感覚を覚え、自身の輪郭が揺らいで――。
 不意に、背後にかすかな違和感を感じ、はたと意識を引き戻される。
 見いだした旋律の最後の一音を爪弾くと、影のようにまとわりついていた《彼ら》の気配は、残響とももにすっと消えていった。
 半ば投げ捨てるように、手にした竪琴を地面に落としたその時。はっと息を呑む気配を、ごく近くに感じとる。
 思った通り、だった。
 当てつけも込めて、レオルは深くため息をついてみせた。


「リアナ?」


 名を呼ぶと、「わぁっ」と心底驚いた様子の声が上がる。
 やがて花色の瞳の少女が、悪戯の見つかった子どものような顔で茂みから現れた。


「えっと、その……勝手についてきて、ごめんなさい」


 何も言わずに竪琴を拾い上げるレオルに、リアナは心細げに言葉を重ねる。


「あ、あのね。わたし、心配になって。もしかしたらレオルが、このままいなくなっちゃうかも、って」
「別に、何も言わずに置いていったりはしない」


 約束めいた言葉を、口にした瞬間ひどく後悔する。こいつが勝手についてきているだけで、そんな義理はないはずなのに。


「うん、知ってるよ。レオルはそんなことしないって」


 声を弾ませる彼女がどんな顔をしているのか、視線を向けずとも容易に想像がついた。


「じゃあ、何がそんなに心配だっていうんだよ」


 苛立ち混じりに問いかけながら、けれども、すぐにその答えに思い至る。
 《かたちなきもの》たちの声を聴くことができる彼女は、レオルの弾く竪琴が、捧げる歌声がどういう役割を持つのか、直感的に感じ取り、興味を示した。その無邪気な詮索が煩わしく、何の気なしにレオルは告げたのだった。かつて自分の父が《彼ら》との対話のさなかに命を落としたこと。


「傍にいちゃだめかな? わたしはレオルのお手伝いができるわけじゃないけど……あなたがうたうとき、近くにいたいの」


 まっすぐに見上げる花色の瞳が、かすかに潤む。
 泣くのだろうか、彼女は。もしも自分が〝いなくなったら〟。脳裏をかすめたその想像に、なぜだか戸惑って。


「好きにすれば。それであんたの気が済むなら」


 投げやりに放った言葉を、けれどリアナは何かとても大切なものを受け取ったかのように、ぱぁっと顔を綻ばせた。


「本当? 嬉しい」
「物好きなヤツ。別に、楽しいものでもないだろ」
「ううん。わたし、レオルの歌、好きだもん」


 屈託のない笑顔を、夕光がきらりと縁取る。その眩しさに、レオルはふいと視線をそむけた。


「戻るぞ、日が落ちる前に」
「あっ、うん! ……あれっ?」


 踵を返した視界の端、不意にリアナの身体が傾ぐ。
 つまずいて体勢を崩したらしい彼女を、とっさに手を伸べて掴まえた。


「なんでそう危なっかしいんだよ」
「えへへ、ありがとう」


 照れくさそうに礼を述べたきり、リアナは掴んだ手をそのまま離さずにいる。
 指先まで冷たいのは、じっと身を潜めていたせいだろうか。そう思い至るとなんとなく振りほどくこともできず、レオルはそのまま歩き始めた。
 勝手についてきているだけ。――いつか彼女が、この手を離していくまで。
 その想像によぎった一抹の寂しさに、気づかないふりをして。

 

Lycieratia
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