旅人たちのクロスロード
3.迷える子犬は路地裏に
「あれー……?」
その頃、リアナは途方に暮れていた。
ミーナと別れ、意気揚々と来た道を引き返していたはずなのだが、なぜか目の前にあるのは、見覚えのない可愛らしい佇まいの洋菓子店。
暖かみのある珊瑚色と白のストライプで飾られた軒先からは、焼き菓子の甘い匂いが漂ってくる。それに引き寄せられるように、店の前には長蛇の列ができていた。
「もしかして、ここがミーナさんの言ってたぱてぃすりー、かな?」
香りからして間違いなく美味しそうだ。とても気になるけれど、今はレオルと合流するのが先だ。ちらちらと列を横目に通りすぎる。
甘い匂いの誘惑を完全に振り切った頃、ふと、かすかな弦楽器の音色が耳をかすめた。
それは――リアナにとってあまりに慕わしい音色だった。
「これ……レオルのフィトゥアルの音!」
吸い寄せられるように、リアナは歩き出した。音のするほうを目指し、少しずつ足取りが速くなる。
一つ角を曲がって小さな路地へ入ると、その音は更に大きくなった。きっとこの道の先に、レオルがいるはず――。
「あ……」
路地裏の少し開けた空間の片隅に、一人の少年が座っていた。
鮮やかな薄青色のローブに身を包み、見慣れない不思議な紋様のあしらわれた弦楽器を爪弾いている。
人の気配に気づいたのか、少年は楽器を弾く手を止めて顔を上げた。
星空を閉じ込めたような不思議な色の双眸が、リアナを捉える。
「あ……そ、そうだよね……」
落胆を隠しきれないリアナの反応に、少年が戸惑いがちに小さく首をかしげる。
「レオルがこんなところでフィトゥアルを弾くわけない、よね……」
ぺたん、とリアナはその場に座り込んだ。
こんな昼間の街中で、あのレオルがなんの目的もなく、大切な役目を帯びた竪琴を奏でるはずがない。少し考えれば分かることだった。
そんなことを容易く忘れさせてしまうくらい、彼の奏でた音はリアナが何よりも好きなフィトゥアルの音色そのものだったのだ。
――それが少年の持つ不思議な「力」による作用だとは、リアナが知るはずもなく。
「……だいじょうぶ?」
少年が心配そうに歩み寄ってくる。
「ご、ごめんね……ちょっとたくさん走りすぎて、疲れちゃっただけだから、大丈夫だよ」
「いそいでるの?」
「うん、ちょっとね……わたし、一緒にいた人とはぐれちゃって。きっと会えると思うんだけど、ちょっとだけ、ほんの少しだけ不安になっちゃったの」
いつの間にか少年はリアナの傍でちょこんと膝を抱え、話に耳を傾けている。
何か言葉を返すでもなく、それでもただそっと寄り添ってくれる少年に、リアナはほっこり温かい気持ちになった。
「あなたのその楽器の音、その人の弾く音に似てるんだ。すごく優しくて、あったかくて。……ねぇ、よかったらもう一度聴かせてくれる?」
こくり、と頷き、少年は再び楽器を奏で始めた。
ぽろり、ぽろりと生まれていく優しい音色は、何度聴いてもやはりリアナのよく知るあの竪琴の音なのだ。
「不思議、全然違う楽器なのになぁ。レオルのフィトゥアルとおんなじ音」
弾き終わると、ふいに少年がぽつりと口を開いた。
「僕も、おんなじ」
「え、なあに?」
「ずっと旅を、してきて。リタが……えっと」
「リタさん、っていうのがあなたと一緒に旅をしてる人?」
「うん。でも……」
少年はそこで、寂しそうにうつむいた。
「どうしたの?」
「リタ、どこに行ったのか分からないんだ」
そう言って、ひどく心細げに相棒の弦楽器を抱き締める。
その小動物めいた佇まいは、リアナの胸の奥を強く揺さぶった。
例えるならそれは、雨にけぶる路地裏で、捨てられた子犬を見つけてしまったかのような――この子はわたしが守らなくては! という強い使命感。
「ねぇ。そのリタさん、一緒に探しにいこう!」
「え……?」
エンデは戸惑いがちに聞き返す。
「あなたも、はぐれちゃったんでしょう?」
「うん……あ、でも、えっと」
「それなら、わたしも一緒に探してあげる! わたしも人探しの途中だから、やることは一緒だもん。二人で一緒に探す方が心細くないし、もし先にレオルに会えたらレオルにも手伝ってもらえばいいし! えっと、あなたの名前は?」
「……エンデ」
「エンデ君ね! よーし、一緒に頑張ろう!」
リアナは意気揚々とエンデの手を取って立ち上がった。
――何かを説明することがとても不得手な少年と、何かと早合点しがちな世話焼きの少女。互いに、非常に相手が悪かった。
エンデがあと一言、的確な言葉を紡げていたら。あるいはリアナがもう少しだけ、彼の話を辛抱強く聞いてあげられていたら。この物語は、もう少し短くなっていたはずなのだけれど。