旅人たちのクロスロード
2.恋する乙女は淑やかに
案内してあげればよかったかしら、それはそれでお邪魔虫になってしまったかしら――などと、先ほど自身の通う大学に興味を示した少女のことを思い出しながら歩いていたミーナだったが、ほどなくして、全速力で走ってきた彼女と再会を果たすことになった。
「あら、あなたはさっきの……えっと、リアナさん?」
「はい。あの、これが落ちてたので……!」
息を切らせながら差し出されたのは、ころんとしたアンティークゴールドのボタン。よく見ればそれは、ミーナのトレンチコートに付いているはずのものだった。見下ろし確認してみれば、一番下のボタンが確かになくなっている。
「まあ、気づきませんでした。わざわざ届けて下さって、ありがとうございます」
リアナの手から、ボタンを受け取る。
その手の甲に薄赤い痣を認め、ミーナはおや、と思った。礼を欠かない程度にそっと窺えば、それは六弁の花の形をしていた。
まさしく花の色をした大きな瞳が印象的なこの少女は、ミーナよりいくらか年下だろうか。わずかに紅潮した頬が健康的で愛らしい。
「お二人は、ずっと一緒に旅をされているんですか?」
「はい! あっ、でも一緒にっていうか、わたしが勝手についていってるだけなので、レオルに聞いたらなんて言われるか分かりません、けど……」
「ふふ、本当にそうでしょうか?」
「えっ?」
不思議そうに目を瞬かせる少女は、きっと気づいていないのだろう。彼女の一挙手一投足を気にかける少年の目線が、どんなに温かかったか。その花の咲くような笑顔に、どれだけ安らいだ表情を見せていたか。無愛想に見えて案外目に感情が出るのだな、とミーナは微笑ましく見守っていたのだけれど。
「いえ、何でもないです。それより、早く戻ってあげてくださいね。きっとレオルさんは今、あなたのことを心配していますから」
「あっ、そうだった! わたし、慌ててレオルのこと置いてきちゃったから……急いで帰ります!」
ぺこり、と頭を下げて踵を返したリアナだったが、何かを思い立ったのか、再びミーナを振り返った。
「あの! よかったらあなたの名前を教えてもらえますか?」
「ああ、そういえば名乗っていませんでしたね。ミーナと申します。またどこかでお会いできたらいいですね」
口にしてなぜだか、そう遠くないうちに本当にまた会う予感がした。ミーナのそういう勘は、割合よく当たるのだ。
この辺りではあまり見かけない服装をしていた、年端もいかぬ少年と少女。一体どんな理由で旅をしているのだろう。
とりとめのない想像を巡らせながら歩いていると、ふいに、恐ろしく造形の整った人形が目の前に現れた。
とてとて、とてとて、とこちらに向かって歩いてくる、子供の背丈ほどの小さな人形。
「いえ、さすがにお人形さんではない……ですよね……?」
だって普通、人形は歩かない。白磁の肌に金糸のような髪、あどけなくも整った顔立ちの、人形めいた美少女である。
硝子玉のような大きな瞳は、夕焼けのような茜色。日の光をきらりと反射する――これは紛うことなき硝子玉ではないか!
「や、やっぱりお人形さんです!?」
ミーナが思わず口にした瞬間、目の前の美少女が大きく肩を震わせた。
そのままくるりと踵を返し、勢いよく駆け出してしまう。
「あっ、待ってください……!」
とてとてと小さな歩幅で懸命に走った先で、人形の少女は、ぽすんと人影に受け止められて止まった。
「リルちゃん? どうしたの、そんなに慌てて」
少女を受け止めた、白衣にも似たぱきっとした白いコートを着た女が、その頭を優しく撫でながら問いかける。
「ジョシュさん、あのね……見つかっちゃったの」
「あらあら……それは大変」
ジョシュさん、と呼ばれた白衣の女は、人形の少女を背にかばうように一歩踏み出すと、どこか底の知れない笑みをミーナに向けた。
「そちらのお嬢さん」
「は、はい?」
「気付いてしまわれましたね?」
「えっと……何でしょう?」
「知ってしまいましたね、この子の秘密を。気付かれてしまったからには、このまま帰すわけにはいかないのですわ……」
女は艶然と微笑み、ミーナに向かってさらに一歩踏み出した。ミーナもつられて後ずさる。
傍目には、いかにも怪しげなマッドサイエンティストに絡まれるかよわい令嬢の図。しかして、その中身は――。
「こ、これはもしかして……! 組織の重大機密を知ってしまった私、絶体絶命の大ピンチな感じです? 何だかとっても物語が始まりそうな予感がします!」
「うふふ……一度やってみたかったんですよねぇ、白衣でこういういかにも悪役っぽい感じ」
二人の間で、何かの波長がぴったりと合ってしまった瞬間だった。
「というわけで簡潔にお話ししますとですね、鋭い観察眼でリルちゃんのことを見抜いたお嬢さんに、ちょっぴり研究のお手伝いをお願いしたいのです。よければこのあとお茶に付き合って頂けませんか? あ、もちろんお茶代はバッチリうちの経費で落としますから」
ミーナは確信した。このお姉さんとはすごく仲よくなれそうだと。
「はい、喜んで。美味しいお店、ご紹介しますね」