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​旅人たちのクロスロード

​1.その出会いは突然に

 誰かに呼ばれたような気がして、リアナは、はっと顔を上げた。
 晴れ渡る空を遮るようにそびえ立つ、統一感のあるすっきりとした造りの建物群。それらに挟まれた目抜き通りは多くの人が行き交い、活気に満ちている。これまでの旅の中であまり馴染みのない、洗練された街並みだ。
 ここは、どこだろう。
 ふわふわとした、夢を見ているような不思議な感覚だった。どうしてこんな街に来ているのだったか――。
「リアナ? どうしたんだ、急に空なんか見上げて」
 怪訝そうな声に振り向けば、見慣れた仏頂面。
 うん、いつものレオルだ。
 先ほど胸によぎった違和感も疑問も、それだけで何だかどうでもよくなってしまった。何てことのない日常、いつもの旅の途中。
「こんな高い建物に囲まれた街なんて珍しいなぁって」
「ああ……」
 さほど感慨もなさそうな相槌。これもまた、いつものことだ。
「何だっけな、ここ……学術都市、っていうんだったか」
「ガクジュツ……えっと……?」
「大学があって、そこに学者とか学生がたくさんいるだろ。そこを中心に街ができたってこと」
「ダイガク?」
「……なんか、でかい学校」
「大きな学校がある大きな街……うん、何だか楽しそう!」
 レオルの雑な説明に同じくらいの適当さで納得したリアナは、辺りをぐるりと見渡してみた。
 通りをずっと進んだ先に、石造りの重厚そうな門と、その奥にひときわ背の高い建物群がぼんやりと見える。
「ねぇ。あっちの大きな建物、何だろう? お城みたいに大きいよ」
「あー。あれがその大学じゃないか?」
 リアナは目を輝かせた。
「ねぇねぇ、レオル」
「先に言っとくけど、部外者は中には入れないと思う」
「えっ、なんでわたしが言おうとしたこと分かったの? すごい!」
 なぜか、ものすごく深いため息を返された。
 道の両脇には、棚一面に書物がずらりと並んだ書店や、文具を専門に扱う店といった、リアナには見慣れない店が立ち並ぶ。
 歩きながら、どうしたって視線はそちらに吸い寄せられた。
「リアナ、よそ見しないで歩けよ……って、おい! 前!」
「えっ!?」
 どん、と肩に走った衝撃。
 間近で聞こえた、息をのむようなごく小さな悲鳴。
 ぶつかった、と理解した時には、相手はバランスを崩して膝をついていた。
「ご、ごめんなさい!」
「その……ケガとか、ないですか」
 リアナが反応するより一足早く駆け寄ったレオルが、そっと手を差し伸べる。
「まあ、すみません」
 その手をとってゆっくりと立ち上がったのは、リアナとさほど背丈の変わらない、小柄な少女だった。
 都市の街並みに調和した、仕立ての良さそうな薄茶色の外套。ゆるく結ばれたやわらかそうな金髪が、肩先でふわりと揺れた。
「どうもありがとうございます、お優しい紳士な方。――あなたも、お怪我はありませんか?」
「はい、わたしは全然! あの、ごめんなさい……わたしがよそ見してたせいで」
「いえ。私のほうも少し考え事をしていたので、おあいこです」
 そう言って、少女は口元を優しく緩ませた。その微笑みにはどこか、淑女の気品があった。
「お二人は旅の方ですか?」
「あっ、はい! こんなに大きくて綺麗な街に来たの初めてで、いろいろ目移りしちゃって」
「リアナはどこ行ったってそうだろ」
「そ、そんなことないよー」
 などと反論を試みるものの、実際そのとおりである自覚は一応リアナにもある。だって仕方ない。幼い頃より孤児院のある街をずっと出たことがなかったリアナにとって、レオルとの旅は、新しいこと、楽しいことの連続なのだ。
「あの大きな建物、大学っていうんでしたっけ。近くで見てみたいなって思ったんですけど、勝手に入っちゃいけないんですよね」
「あ、いえ。建物の中はちょっと難しいと思いますけど、敷地の中はどなたも自由に通っていいんですよ。ちょっとした公園みたいなスペースもあって、ご近所の方がお散歩してたりしてますし」
「えっ、本当? ねぇねぇ、レオル」
「あー……分かったよ、行けばいいんだろ、行けば」
「やったぁ!」
 くすり、と少女が小さく笑みをこぼした。
「ご観光、楽しんでいってくださいね。お土産でしたら、あちらの二つ目の角を右にいった先にあるパティスリーがおすすめですよ」
「ぱてぃ……?」
「えっと、お菓子屋さんです」
 それでは、と軽く会釈をして、少女は去っていった。
「素敵な人だったね。優しくて、落ち着いてて、ちょっぴり大人の女の人って感じ」
「まあ、リアナには落ち着きの欠片もないからな」
 投げやりな言葉に、リアナはぷぅと頬を膨らませる。
「ねぇねぇ、レオルー。レオルは、わたしがもう少しおしとやかで大人しいほうがいいと思う?」
「そりゃあな」
「うぅ……そっかぁ、そうだよね……」
 あまりの即答だったので、リアナは真剣に考え込んでしまう。淑女たるには。先ほどの少女にあって、リアナに足りないもの。
 まず第一に、優雅な所作と丁寧な言葉遣い。どれもこれも、今のリアナには縁遠いものである。
「……リアナ? 何だよ、急に黙りこくって」
 それに――リアナは思い出す。ふんわりとしたブラウスの奥に秘められてなお、隠しきれない存在感を主張する、豊かな胸元の膨らみ。いや、こればかりは仕方ない。リアナは未だ発展途上の年頃なのだから。――そう、「途上」なのだ。多分、きっと……。
「あー、いや、その……少しくらい落ち着きがあった方がこっちの余計な心配が減るって意味で、そんなしおらしくしてるとそれはそれで逆に心配になるっつうか……だからその、リアナは別に、今のままでも」
「あれ!? 何だろう、これ」
 気持ちとともにぷすぷすと下に落ちきったリアナの視線が、ふと、地面にきらりと光るものをとらえる。拾い上げてみると、どうやら服のボタンらしかった。
「おまえ、全然聞いてなかっただろ」
「えっ、なあに?」
「……もういい。で、それ何?」
 レオルはむすっとした顔で話を終わらせ、リアナの手の中を覗き込んだ。
「さっきの人の服に付いてたボタンだよな、それ」
「やっぱりそうだよね!?」
 リアナはうんと背伸びをして、前方に目を凝らした。
 行き交う人混みのはるか向こうに、どうにかあの小柄な後ろ姿を見つける。
「走れば追いつけるかなぁ……あっ!」
 ふいに少女が脇道へ曲がるのが見えて――リアナは、反射的に走り出していた。
「わたし、届けてくるね!」
「は? おい、リアナ!?」
 何としても見失うまいと、リアナは人混みを縫って全力で駆け抜ける。
 落ち着きがどうの、おしとやかさがどうのという先ほどの会話は、とうに忘却の彼方である。

   

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