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Sunset orange, Rainy blue

1.

 遠くで鐘の音が響いている。
 知の都ラトポリカの中心にそびえ立つ、機械仕掛けの時計塔から響く、一日の始まりを告げる鐘の音だ。
「ルー、朝だよ」
 耳元で少女の声がする。私をこのように呼ぶものは、ただ一つをおいてほかにない。
 RiL‐23、リル。この手で作り出し、今もまさに開発の最中にある、世に二つとない感情メカニズムを持つ人形だ。
 自我の安定した当初から、リルは私の名前を正しく発音することができなかった。何度か矯正を試みるもうまくいかず、すっかり単純化した発音で定着し、今に至っている。
 言葉を、知識を与える過程で育まれるものもあるに違いないと、リルの知能レベルは、起動時にはおよそ五歳程度に設定した。人の子であれば舌ったらずなのも当然の年齢だが、無論、身体能力まで子どものそれに合わせる必要はなく、そのように作った覚えはない。
「起きてよ、ルー。あーさーだーよー」
 不思議なものだ、と思う。それまでの人形であれば、看過できぬ不具合、設計ミスであり、即座に機能停止し改良すべき点に違いないのだが、ことRiL‐23に関してはそういった齟齬そのものが研究対象でもあるために、こちらの予測を裏切られることがどこか嬉しくもある。
 この人形は成長する。その秘めた可能性は未知数だ。
 ――夢うつつに思考の海を漂っていたら、ふいに首元に恐ろしく冷たいものが触れた。
「――!?」
 およそ形容しがたい声を上げて、私は飛び起きた。
「おはよう、ルー」
 こちらを見上げる茜色の瞳は、心なしかきらきらと輝いて見える。ほかでもない、リルの仕業だった。
 ヒトと見紛うほどに滑らかな動作と細やかな表情を実現したRiL‐23であるが、その肌の質感は人のそれに倣わずつるりと硬い。耐久性、防汚性を優先したためだ。体温も人肌より随分と低い。発電機構の生産するエネルギーを余すところなく知能と感情の発現に充てるためにはこちらも致し方なかったのだ。
 よってリルの掌は非常に冷たい。それを起き抜けに首元にあてられては、平然としていられるはずもない。ただでさえこの頃のラトポリカの街は季節を無視した寒さが続いているのだ。
 これほどの寒さでは、朝の未だ日の低いうちから活動するなど効率が悪いことこのうえないのだが。
「……おはよう、リル」
 そんなことをこのいとけない人形に説いたところで不毛なので、一度起こしてしまった身体を大人しくそのまま活動させるよりほかにないのだった。
 眠い目をこすりながら寝台を降り、顔を洗うべく洗面所へ向かうと、リルはカルガモの雛よろしく、とてとてと後をついてきた。
「リル、あれはやめなさいと前にも言っただろう。心臓に悪い」
「シンゾー?」
「人間の体を動かす大事な器官だ。あまり急に驚かすと脈拍が……あー、ここのバクバクするのが不安定になって、非常によくない」
「こわれちゃうの?」
 つい、と寝巻きの裾を引かれて振り返ると、リルはひどく心配そうに眉根を寄せてこちらを見上げている。
 私は苦笑しつつ首を横に振った。
「そう簡単に壊れはしないよ。だが、気分のいいものじゃないからね」
「わかった。じゃあ、もうしない」
 聞き分けのよい返答に大いに満足した私は、リルの細いブロンドの髪をふわりとひと撫でして歩き出した。
 だが、続けて落とされた一言が再び足を止めさせる。
「ルーがちゃんと起きてくれるならね」
 してやったり、という笑みが振り向かずとも見えるようだった。
これも一つの心の成熟といえるのか。何やら複雑な気持ちで、はぁと深い溜め息をついた。
「休みだぞ、今日は」
「でも、今日はお祭りの日だよ」
「祭り?」
「うん、時計塔の」
「あー……今日か、あれ」
 シンボルタワーである時計塔が建った頃から、このラトポリカでは街の活性化だのなんだのという名目で、およそ一月に一度の間隔で祭りが開かれるようになった。
 国内随一の学術都市として、最先端の技術や研究を紹介する場が設けられたり、時計塔の広場に出店が並んだりと、普段は知の都の異名にふさわしい落ち着いた雰囲気のラトポリカの街が、その日ばかりはやたらと浮き立つのだ。
 正直言って、この無秩序な賑わいが私は好きではない。講演のために呼び出され渋々赴いたとき以外は、一度として祭りに足を運んだことがなく、騒がしい時計塔の広場には近づかずに一日をやり過ごすのが常だった。
 ところが、このところリルが、定期的に街の空気を塗り替える何かの存在に感づき始めた。前の月の祭りの日、折悪しく大学の研究室でその疑問を口にしたものだから、私の助手があっさりと種明かしをしてしまったのだ。
 当然、「私も行ってみたい」の猛攻が始まった。折しもその日、期日の迫った論文を片付けたばかりで疲れ果てていた私は、最終的に「また今度」と生返事をした覚えがあるような、ないような――。
「お祭りの日はいろんなお店が時計塔の周りに並んでて、よその街の人もたくさん来るんだって。えっと、私のこみにけーしょんのお勉強になるから、ユーイギだよ?」
 リルは使いなれない言葉をたどたどしく並べ立て、上目使いに私を見てくる。大方、助手がそのように言えば私を説得できるとでも吹き込んだのだろう。
 とはいえ、確かにいい機会ではある。知識量が増え、事象を捉える視野が広がったためか、このところは新しいもの、知らないものに出会うたびに、何故、何と興味を示すようになったリルだ。非日常の刺激が更なる成長をもたらすかもしれないし、これまでに形成された個性をつぶさに検証する機会にもなるだろう。
 貴重な休日と、それを捧げることで得られるであろう成果、眼前の期待のこもった茜色の眼とを天秤にかける。
「――わかった」
 一つ息を吐いて、私は腹を決めた。
「じゃあ、二つ目の鐘が鳴ったら出かけようか」
 言い終えぬうちに、リルの顔に満面の笑みが咲く。

  *  *  *

 その日の空は雲一つない快晴で、遠くに浮かぶ深緑の世界樹がはっきりと見てとれた。
 リルの手を引いて時計塔のある中央広場へ赴くと、早速、入り口に件の助手の姿があった。
 祭りの手伝いか何かなのか、広場を囲う柵にせっせと造花を飾り付けている。
「あ、ルフ博士」
 彼女はこちらの姿を認めると、作業を中断しぶんぶんと手を振ってきた。
「珍しいですね、博士がお祭りに来てるなんて」
「君が余計なことをリルに話したから、収拾がつかなくなったんだ」
「だって、リルちゃんが知りたがってることがあったらどんな些細なことでも丁寧に教えてあげるようにって、あたしに言ったのは博士ですよ?」
「ジョシュさん、こんにちは」
「こんにちは、リルちゃん。作戦成功だねー、おめでとう」
 何やら楽しそうにハイタッチを交わしている辺り、やはり私の知らないところで結託していたらしい。
 この助手に至ってはリルは名前の一文字すらも覚えず、すっかりジョシュさんで定着してしまった。私が常々、助手がどうのこうのと口にするためか、どうもこのジョシュというのが彼女の名だと思い込んでいる節がある。
 起動当初のリルは人見知りが割合ひどく、研究室の人間が話しかけようとしてもことごとく私の背後に隠れてばかりいたものだったが、この助手にだけはなつくのがことのほか早かった。
 研究室で唯一の女性であり、リルにとってはもっとも近しい同性の存在ということになる。傍にいるときには積極的に教育を兼ねて交流させており、実際彼女はよくやってくれている。
 唯一にして最大の問題はといえば、情操教育の名のもとに、いつのまにやら研究室の予算で勝手にリルに新しい洋服を買い与えていることだろうか。
「あの、すみません」
 ふいに声をかけられ振り返ると、旅装の青年が駆け寄ってきた。
「もしかしてルフ博士で」
「人違いだ」
 聞き慣れぬ訛りの入った話し方からして嫌な予感のしていた私は、即座に身構える。
「いやいや絶対ご本人ですよね? 千年動く機械時計の設計者にしてAI研究の第一人者、ラトポリカの人形師の呼び声高いルフ博士その人ですよね。写真で何度となくお顔拝見してますから、間違えようがありませんよ。申し遅れましたが私、隣国で科学雑誌のライターをしておりまして」
「取材ならお断りだ。私は忙しい」
「そうおっしゃらずに。十分、いえ五分で構いませんので、お話、お聞かせ願えませんか」
「五分できっちり終わらせると世界樹に誓えるんだな?」
「ええ、勿論です」
 そこから、青年の散弾銃のごとき質問攻めが始まる。
 ――隣国の世界樹信仰がさほど熱心なものでないことを思い出したときには、もはや手遅れだった。
 こう熱心な輩をはねのけるのも一苦労だ、いっそ五分程度なら付き合ってしまうほうが楽だろうと安易に判断したことを、嫌というほど後悔することになる。
 のらりくらりと結局、優に十五分は付き合わされる羽目になった。
「だから嫌だったんだ、こういう場所に来るのは」
「意外とお人好しなとこありますよね、博士って」
 毒づいていると、助手の後ろからリルがひょっこりと顔を出す。
 辺りを念入りに見回し、あの青年がもう近くにはいないと確信したらしいリルは、とてとてと私のもとへ駆け寄ってきた。
 RiL‐23を世に発表した直後は、あの手の輩が代わる代わるリルに寄ってきた。研究内容そのものであるリルの人格形成に支障をきたすからそっとしておいてくれと言い聞かせ、ラトポリカの住人は幾分か配慮してくれるようになったが、街の外から訪れるものはどうしようもない。初期のリルの人見知りは多分にあれらのせいであるし、それが改善した今でも、むき出しの好奇心に対しては本能的に警戒心が働くらしい。
「ところで、驚きましたよ。博士、リルちゃんに全然話してなかったんですか?」
「なんのことだ?」
「時計塔、博士が設計したってこと」
 ああ、と服の裾をついついと引っ張ってくるリルの手をとりながら、相槌を打つ。
 どうやら私があの青年に捕まっている間に、そんな話をしていたらしい。
「話す必要もないだろう。特段大したことじゃない」
「……これが謙遜でもなんでもないから嫌になっちゃうよなぁ。世界樹の祝福は何人にも等しく在るって、あれ嘘っぱちですよね。二物も三物もこの人のところにあるんだから」
 「ねー、リルちゃん」と助手は何やらリルに同意を求めているが、話の内容を理解していないらしいリルは首をかしげるばかりだ。
 あの時計塔の設計図は、十年近くも前に研究の片手間に書いたやっつけ仕事だ。よもや採用されるとは思いも寄らなかったが、実際に形になってみたら案外悪くない仕事だったと思う。が、そんなことはリルの教育にはなんら関係ない。殊更に話しておく必要は感じていなかった。
「博士、せっかくだから楽しんでいってくださいね。その方がリルちゃんにもいい刺激になりますから」
 助手が再び作業の手を動かし始めたので、私もリルを連れて移動することにした。

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